ホームマウンテンであるマンモスマウンテンを拠点に、フリースタイルのビッグコンペティション、フィルムカンパニーの立ち上げと出演など、フリースタイル・BCスキーの世界で数々の功績を残してきたクリス。身にまとう全身のプロモデルにはアーティストとしても活動するクリス自身のアートをデザインカラーに採用するなどその多彩な才能も発揮している。2019年にはメルセデスベンツ社のキャンピングカラーをカスタマイズし、内装はミッドセンチュリー調の木製、外装には自ら絵を描き、そのバンで妻でありチームメイトのキミー、息子のコアとともに旅に出た。2020年には山の一つの斜面全体をプロジェクションマッピングによって彩り、仲間と共に滑走した映像にグレイフルデッドの音楽をのせてレッドブルTVから発信したことも記憶に新しい。新しい世界と充実したライフスタイルを魅せてくれるクリスの動きにこれからも目が離せない。
Home:Mammoth
Other activities:http://chrisbenchetler.com/
キミ―の輝かしい功績は挙げ始めたらきりがない。
2011年、ダブルバックフリップをパークとパウダー両フィールドでメイクした史上初の女性ライダーとして注目を集め、名門Standard Filmsの記念作品「TB20」、「2112」に連続出演。2012年のTWSPRでは、WOMEN’S 3部門にノミネート、その後2014年のソチオリンピックメダル有力候補として、スノーボード界にとどまらず、その存在感をさらに強めた。不慮の怪我に見舞われオリンピックの夢は絶たれたものの、2015年TWS MOVIE 「Origins」、2016年Absinthe Films 「After Forever」に出演し、バックカントリーシーンにて復活を果たす。同年、TWSRP 「Women’s Riders of the Year」、SNOWBOARDERS MAGAZINE「Women’s Riders of the Year」、「Women’s Video part of the Year」などの名誉あるライダーアワードを獲得。現在は、夫であり、DRAGONグローバルスキーライダーのChris Benchetlerとの間に愛息KOAをもうけ、共にキャンピングカーでの旅を頻繁に続けている。
2010年代は、X GAMESのフリースタイル競技でゴールドメダル一枚、シルバーメダル3枚、ブロンズメダル1枚を獲得するなど、入賞の常連ライダーとして名を馳せた。2014年にはニュージーランド代表としてソチオリンピック・スキースロープスタイル、ハーフパイプ種目に出場。ハーフパイプでは4位入賞を果たした。現在は、ニュージーランドやアメリカを拠点として、母国では次世代に向けて大会やイベントを開催、アートディレクター、写真家としても活動するなどその才能を多岐にわたり発揮している。
Career:
WINTER X GAMES 2010 Aspen / Superpipe / Silver Medal
WINTER X GAMES 2012 Aspen / Bigair / Bronze Medal
WINTER X GAMES 2013 Tignes / Slopestyle / Silver Medal
WINTER X GAMES 2016 Aspen / Slopestyle / Gold Medal
バックカントリーフィールドのひと際大きなセクションで、スーパースムーズなトリックを魅せるミッケル・バン。2000年代、ムービープロジェクト最盛期に最もメジャーなタイトルの一つだったStandard FilmsによるWhiteBalanceに13歳でデビューしたスーパーキッズは、US OPEN、EURO OPEN、ASIAN OPEN、X-GAMES、ARCTIC CHALLENGEなどの世界最高峰のコンペティションにおいて輝かしいキャリアを築いてきた。現在は雪山の自然地形を主戦場に、映像と写真における極上の被写体としてライディングし続けている。
プロサーファーである二人の兄をもつ小川兄弟の末っ子として、幼少期よりサーフィンと共に成長してきた生粋の千葉・鴨川ローカル。自身もプロサーファーとして活動し、国内外のコンペティションやサーフトリップに積極的に参加している。
新潟県石打丸山のローカル“YBIクルー” の一員として、フリースタイルスキーのカルチャーを色濃く受け継いだ星野洸我は、今地元から世界に羽ばたこうとしている。想像をはるかに超える高い軌道のジャンプ、特大のストリートセクションなど、INSTAGRAMで彼の投稿フィードを見た者は、その規格外のライディングに度肝を抜かれるだろう。FREERIDE WORLD TOUR JAPAN SERIES 2022では初出場で初年間総合優勝を果たし、ヨーロッパの予選大会への出場権も獲得。その技術の高さを証明した。これから、世界中でさらに経験を重ね、どんなライダーへと成長するのか、今から楽しみでしかたがない。
Home:石打丸山
長身で長い手足のグーフィーフッター。スノーボードの上に乗ってノーズをフォールラインに向ければ、控え目な性格からは想像だにしないスピーディーでアグレッシブなライディングを魅せてくれる。恵まれた雪山に囲まれた北魚沼エリアで育った星宏樹は、その環境から幼少期から自然とフリーライドに傾倒した。その後、地元だけでなく、南魚沼の石打丸山スキー場を中心に同世代の仲間と共にスノーパークでジャンプのスキルを磨き、北海道やカナダなど他のエリアでもさらに経験値を蓄積していった。FREERIDE WORLD TOUR JAPAN SERIES 2022では年間ポイントランキング2位を獲得、2023年のヨーロッパ予選大会への切符を手に入れた。地元の小出スキー場から始めた一人の少年は、これから北魚沼を代表するフリーライダーへと成長していく。
Home:石打丸山
Other activities:スケートボード、サップ
千葉のメジャーサーフスポット片貝を代表するローカルの一人として長年サーフし続ける戸村。全日本選手権のアニバーサリー大会でもあった第40回、第50回大会シニアクラスを両方とも優勝する実力派。
90年代初頭、奥利根国際スキー場(現 奥利根スノーパーク)にてスノーボードのキャリアをスタートした梶浦は、ハーフパイプ全盛時代を経て、主に白馬やニセコを中心に活動していました。そんな最中、2000年に「SLOPESTYLE」が上越国際スキー場で開催。ムービースター全盛期に世界中からトップライダーが集まった「SLOPESTYLE」は、後継イベント「THE SLOPE」を含めて実に2015年までその歴史が続きます。そして、梶浦はこの伝説的イベントの初代チャンピオンに輝くのです。第一回の会場は日本人ファンで埋め尽くされ、参加選手はロックスターの如く大変な注目を集めていました。当時ニセコでフリーライドに傾倒していた梶浦は、日本人トップライダーの一人として参戦。それまで自然地形のなかでヒットポイントを探す視点で滑っていた梶浦にとって、人工的に造成された世界水準のスロープスタイルコースは「とにかく楽しくて夢中で滑っていた。」と振り返ります。結果として、並みいる強豪の中で優勝。当時世界のコンペシーンのトップは外国人選手が席巻するなか、日本人ライダーの可能性を世に示したのです。一躍、時の人となった梶浦ですが、周りの反響の高さとは反対に本人の興味は当然の如くフリーライドへ戻ります。日本の美しき雪山の中でライディングをクロスオーバーさせる滑走写真や映像の世界で数々の作品を残し、その後のキャリアを築いてきました。一時、活動としてのスノーボードからは離れていたものの、白馬・大町を拠点に22‐23よりカムバック。久しぶりのシーズンでいきなり超一級品の滑走写真を量産しました。変わらない、アグレッシブなライディングは自身のINSTAGRAMアカウントからチェック。
10代前半から国内外で勝負を繰り返してきた山田悠翔は、現在新たな成長をみせている。 13歳の時に世界最年少タイ記録でBSトリプルコーク1440決めたことによって世界中から注目を集めたスーパーキッズは、その後決して順風満帆な道を歩んではいなかった。オリンピックという大きな目標とプレッシャーの中で、一定の成績を残していく一方、時には勝負の世界で残酷な結果を突き付けられることもあった。10代の若者にとって、世界中を転戦しながらの成功と失敗の繰り返しは大きなストレスとなり、次第に競技的なスノーボードに疑問をもちはじめていた。18歳の時には、大会の合間に自分が興味をもっていた映像表現にも挑戦。これが悠翔の転機となった。自然地形でのジャンプなど自由な表現は、改めてスノーボードの魅力を再確認することができたのだ。大会との両立でスケジュールは忙しくなったが、現在では、また大会が楽しくなってきたのだという。DRAGONのTEAMにはタダのコンペティターはいない。DANNY DAVISをはじめとしたかつて大会の最前線で活躍していたライダー達はいつも記録だけでなく記憶に残る滑りを魅せてくれる。高難易度のトリックだけではなく、クリエイティブなラインチョイス、多彩な表現力もつ山田悠翔が真のフリースタイラーに成る日は近い。